アルザスの今年のクリスマス市は、11/25から始まります。街中に溢れる光と香の渦、鐘のやカリオンの音も聞こえる事でしょう。クリスマスツリーの発祥については諸説ありますがアルザスも勿論その1つ。クリスマス市のモミの木の香りを思い出します。
先日、NHK旅するフランス語を見ていたら、ガラスボールのオーナメントの話がありました。アルザスはガラス産業も盛んで、ヴェルサイユ宮殿のシャンデリアや教会の窓など、名品を収めていたようです。ボージュ山脈の中にあるバカラやサンルイのガラス工場を訪ねたことを懐かしく思い出します。
クリスマスオーナメントのガラスボールも見かけますが、持ち帰りが不安なので陶器ボールのアルザス柄オーナメントを、娘のお土産のオーストリアやハンガリーの物と共に飾っています。
アルザスでガラスボールのオーナメントを作りはじめた理由は、1858年の干魃の影響のようです。その頃はオーナメントに生のリンゴを飾っていたそうで、飾るものが無く悲しむ子供達を喜ばせるためにガラスでリンゴを作って飾ったとのこと。
次回訪れるときには、クリスマス市でお気に入りを探してみましょう。
2022年11月20日
アルザスの州都ストラスブールは、ヨーロッパの十字路、かつてはライン河を利用して交易で繁栄し、なかでも香辛料の取引が盛んでした。そこでクリスマスにもスパイスのよく効いたお菓子が焼かれます。パンデピスという文字どおり香料のパン、ブレデレとよばれるクリスマスクッキー、そしてシュトーレンにも似ているベラヴェッカ。
べラヴェッカは、アルザス語で洋梨のパンという意味らしいのですが、フランス語ではpain aux fruits secs alsacien (アルザスのフルーツパン)とも呼ばれ、黒い森を挟んでオーストリアから南ドイツ、ライン河流域のアルザス地方までの食の文化圏(クグロフが焼かれる地方)で作られるお菓子です。その始まりは、沢山採れた果物を保存のために干し、クリスマスのお祝いのためにキルシュヴァッサーに10日位漬け、ナッツ類と合わせてパン生地に練り込んで焼き上げます。各家庭でレシピも様々ですが、大きく分けて、生地に練り込む方法と生地で包み込む方法があります。
私のこだわりは、
①地元食材 : 和のテイストで、手に入れにくい洋ナシから和ナシに変え、カキ、リンゴをブルーベリー農園のお友達のご好意に甘えてドライフルーツにしていただき、セミドライのブルーベリーと共に入れます。3回湯こぼしをして作る自作のユズピールも入れます。小麦粉はつくば市産ユメシホウです。仕上げに福来ミカンの陳皮をかければ最高です。
②できるだけ生地を少なく : イチジクを固めたフィグログのように生地をできるだけすくなくしてワインによく合うベラヴェッカを目指しています。
使用食材など
①ドライフルーツ類 : レーズン、サルタナレーズン、グリーンレーズン、クランベリー、ブルーベリー、イチジク、リンゴ、ナシ、カキ、クコ、ユズピール、パイナップル
②ナッツ類 : アーモンド、クルミ、カシューナッツ、パンプキンシード、ピーカンナッツ
③香辛料 : シナモン、クローブ、ナツメック、カルダモン、コリアンダー、クミン、胡椒
食べ頃は焼いてから1ヶ月位、冷蔵庫で1週間位冷やすと薄く切れます。暖かいお部屋で、よく冷えたワイン、できればアルザスの白、ゲヴェルツトラミネールと共にご笑味ください。
2022年11月19日
窯の炎を利用して焼くので「炎のタルト」という意味ですが、アルザス風のピザのことです。薄いパート・ブリゼ(ピザの生地のようなもの)にフロマージュ・ブランをベースにしたソースを塗り、薄切りの玉ねぎとベーコンのような豚肉の加工品を載せて焼くのが基本です。アルザスワインやアルザスビールに良く合います。
初めて食べたのはアルザスのレストランでしたが、フォレスティエールというキノコが乗っているものとアルザスワインのグヴェルツトラミネールが良く合って、忘れられない味になりました。
その後、何回か自分で作りましたが、なかなか思うようにはできずにいました。昨年やっと上手くできるようになりました!機会があれば焼きますのでお声をかけてください。
2019年1月22日
平昌オリンピックが閉幕し、感動の余韻に浸っていますが、フィギュアスケート圧巻でした。個人的には宇野昌麿!見ていて思い出したのが、ワルトトイフェル!
子供たちが小さかった頃、ストラスブール郊外の町ビシャイムにある昔住んでいた家の大家さんを家族で訪ねた時のことです。お孫さんの家にたまたまあったピアノで、小学生だった息子が、レッスンの課題曲のスケーターズワルツを弾いたところ、大家さんが驚いて叫び声をあげました。話を聞いてみると、その作曲家であるワルトトイフェルは、ヨハン・シュトラウスがウィーンで活躍していた時代にパリで活躍した「ワルツ王」で、生家がすぐ近くにあるとのこと。私たちもびっくりしてそこを訪ねてみました。目立たない古い木組の小さな家でしたが、音楽の歴史を垣間見る思いで興奮しました。
今日は、そのピアノを弾いた昌樹の誕生日! 2018年2月27日
夏のアルザスは、青い空の下に青々としたブドウ畑が広がり、うねるようなワイン街道を車で北上すると花で飾られた木組の家の集落が次々と現れ、おとぎの国へ迷い込んだようです。ボージュ山脈の山並みの頂にオー・クニクスブール城、リボーヴィレの3つの古城、モン・サント・オディール修道院が見え、前方にストラスブール大聖堂が見えてくると懐かしさで胸がいっぱいになります。
6月20日:成田10:30発、AMS経由、夜間飛行でリヨンのサン・テグジュペリ空港着
6月21日:レンタカーでフェルミニ、ラ・トゥーレット修道院泊
サン・ピエール教会、内部の印象は村野藤吾作米子市公会堂に似ている!刻々変わる壁に映る光の軌跡をずっと眺めていたかった。迷いの中でも救いの光はある!
ラ・トウーレット修道院、無神論者のコルビュジエが最後の一夜を過ごす場と決めていたという所、なだらかの丘陵地帯を進むと、ニコラス・ファンの写真と解説で見た丘の上の修道院が午後の光のなかに現れた。周りの森を散歩し、外観と内部を見て回り教会のステンドグラスの代わりの光の大砲やオルガンも見る。夕食は、3カ国8人で食卓を囲む。夏至の日の長い夕べをゆったりと過ごし、日没と共にモジュロール寸法の部屋で就寝。
6月22日:リヨンからTGVでボーヌへ、ローカル線でアルケスナンへ、王製塩工場跡泊
夏至の日の短い暗黒無音の静寂な闇から小鳥のさえずりで目覚める。夫と共に朝の散歩、隣の館の主か、猟犬を連れた人と言葉を交わす。丘陵に囲まれ、野の花と朝の光に彩られる僧院の庭で抹茶を一服。至福の朝の光。
なかなか行けなかったボーヌ、駅前のバールでクレマンで乾杯!オテル・デュー、ワイン博物館を見学。お土産には、ブルゴーニュワインではなく、パンデピスとアニス飴を購入。
アルケスナン王立製塩所、僻地に未完の都市計画、円形の半分だけ完成したが使われることはなかった。磯崎新が、つくばセンタービルのファサードの柱にここのデザインを入れたのは、この未完の理想都市へのオマージュなのでしょうか?建物の中はモダンにリノベされ、部屋には有名建築家の名前が付いていた。泊まった部屋は「ルイス・カーン」。フランシュコンテのチーズを味わう。
6月23日:電車でブザンソンを経由してストラスブール泊
流れる地下の塩水のモチーフをところどころに配した神殿のような工場の建物。これが稼働していたら労働者はどんな思いをいだいたのだろうか?夢の建物、世界遺産。
ブザンソン、ベルフォール、ミュールーズ、そしてストラスブール着。
ホテルから川沿いを散歩して街中へ、大聖堂の広場でタルトフランべを食べる。
6月24日:レンタカーでリボーヴィレに寄り、ロースハイム泊
リボーヴィレでアニョパスカルの型やテーブルクロスをお土産に買う。
ロースハイムのローゼンマーで祝賀会。ロースハイムは文字通りバラの町。ソバージュ先生の師で、先にノーベル賞を受賞されたジャン・マリー・レーン先生の出身地で、レーン先生ご夫妻もご臨席されていました。また、パリのデファンスを手掛けた建築家クロード・バスコーニ(故人)の出身地とのこと。祝賀会は19:30開始なので午後から仮眠をとってから参加。残念ながら早いフランス語についていけなかったのですが、懐かしい方々に再会し、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。ノーベル賞の実物も見せていただきました。表はストックホルムのお土産のメダルチョコで見かけるとおりでしたが、裏の名前が刻んである女神の面は初めて見ました。授賞式のエピソードなども披露され、会は盛況で予想通り深夜まで続きました。
6月25日:ストラスブール泊
午前中ストラスブールに戻り、お昼はコランさんの所で夫のかつての研究室の仲間とのパーティー。皆其々色々な暮らしぶり、コランさんは家庭菜園にも案内してくれました。
夕食は、ソバージュ夫妻が郊外の町の郷土料理のお店マロニエに案内してくださりタルトフランベをごちそうになりました。その町の教会近くでオリーブの樹発見!
昨夜から夢のような同窓会でした。
6月26日:サンディエへドライブの後、ストラスブールから空路アムステルダム泊
レンタカーを返す前にボージュの山の中サンディエにコルビュジエ作の工場を見に行く。
山の中の町だけど、川が流れる明るい街でした。
ストラスブール空港から成田乗り継ぎが上手くいかないので、アムステルダム泊
6月27日:アムステルダム美術館見学後成田へ機中泊
行きのスキポール空港で美術館の絵が見られる情報は残念ながら閉鎖中。帰りの空き時間を利用して、朝1で予約を取り市内へバスで行って数年前映画で見た「アムステルダム国立美術館」見学。「夜警」は圧巻でした。フェルメール、手紙と牛乳、美しかった!
6月28日:8:30成田着
2017年7月14日
「グレーテルのかまど」で、クグロフが紹介されました。番組で紹介されていたように、クグロフについては、色々な云われがあります。ウィーンのハプスブルク家のマリー・アントワネットがお輿入れの時に伝えたというのもその1つです。ライン河を渡って、ストラスブールのロアン宮殿に泊まり、服装もフランス風に着替えてパリに向かったのだそうです。
番組の中では、ヘンゼルが上手に捏ねて作っていくのですが、思った以上に手がかかるのを見てびっくり!いつも食べたいと言うと作ってくれる主人に改めて感謝!様々なレシピがあり、各家庭に伝わる作り方もあるようですが、大家さんだったゴルダー夫人に習ったレーズンが入っていて飾りのアーモンドがのっているシンプルで香ばしいクグロフが大好きです。若い頃は粉砂糖をかけていただいていましたが、最近は焼きたての香りを楽しみながら、アルザスワイン、芳醇なゲヴュルツトラミネールといただくのが最高!
アルザスに居た頃は、毎朝主人と息子が近くのパン屋さんに焼きたてのパンを買いに行っていたけれど、店頭にクグロフが並ぶのは日曜日か祝祭日だけでした。部屋の壁にクグロフ型をいくつも飾り、食べたい時にそれで焼いてももらって食べるなんて、王妃様より贅沢!
2017年4月4日
今年のノーベル賞は、ストラスブール大学のジャン・ピエール・ソバージュ名誉教授他2名に贈られるという発表がありました。夫が留学で指導していただいた先生です。もう四半世紀前の話で、夫も研究からリタイアしているので別世界の話ですが、さっそく夫は、おめでとうございますメールを送りました。私が初めてお目にかかったのは、夫に付いてビシーからストラスブールに移り、家探しをした時で、日本からの初めての留学生家族に細かい気配りをしていただきました。先生のお勧めで、ストラスブール郊外のゴルダーさんの所にお世話になることになり、貴重な1年間を過ごさせていただきました。ゴルダーさんも化学研究所の研究者で、ソバージュ先生の卓球友達でした。
日記を取り出してみると、夫は、日本にいる時より、いつもはずいぶん早く帰宅していましたが、時には深夜までのゼミや研究者の交流で帰宅が遅い日があり、ノーベル賞学者のジャン・マリー・レーン先生から独立したてソバージュ研は、当時からたくさんの人材が集まり、活気のある研究室だったようです。
ストラスブール大学は、3つの大学が統合された大学で、自然科学ではルイ・パスツール、人文系では、ヨーロッパ統合を考えていたロベール・シューマンが有名です。
夏には語学学校が開かれ、私も子供を預けて通いました。国境の町なので、ドイツ語コースもありました。また、エラスムス計画というライン河文化圏の大学が提携してお互いの単位を認める交流も早くから導入されていました。
フランスとドイツの文化のせめぎあいの中で様々な交流から英知が生まれていく活気がある大学でした。
2016年10月9日
ふらんす(白水社)2016年Mars90年の特集アルザス ヨーロッパの十字路に
ことばはドイツ、心はフランス(宇京賴三)
ドレフェス事件とアルザス(村上祐二)
ヨーロッパにおける知の十字路ストラスブール(西山雄二)
没後50年 彫刻家ジャン・アルプ(中山ゆかり)
アルザスの贈り物(Marie-Emmanuelle村松)
と興味深い記事が載っていました。
言語や文化のせめぎあいの中で様々な生活が営まれ、ハイブリッドな物が生まれた。
多様化の時代、ハイブリッドな良いとこどりが、生き残る鍵なのでしょうか?
(2016年2月)
その後、読者プレゼントに応募して、「アルザスの言語戦争」(ウージェーヌ・フィリップス著、宇京賴三訳)手に入れました。本の扉に記された、アンドレ・ベェックマンの詩
「民族から民族へ」
アルザス人であることは アルザス人であることは
風がよく入るように 民族から民族へと
窓を大きくあけ放つことだ 架けられた橋を
東の風も西の風も入るように。 まもることだ
言葉と民族のアイデンティティーの重みを深く感じます。
2016年5月10日
E.M.さんが、近所のカスミストアーでシリコン型のアニョパスカルを発見!私も何軒か回って2個入りを3セット手に入れました。「世界のおやつ」というシリーズで、フランスのアルザス地方で復活祭に焼かれるお菓子と説明が付いています。W60xD30xH45mmというかわいいものですが、ホットケーキミックスでやったら失敗!付いているレシピ通りに作ったらできました!小さくても羊の毛の筋も付いてます!(未年母子作)次回アルザスに行く機会があれば、陶器の型を買ってきたいと思います。 2016年3月3日
今年は、シェイクスピアの没後400年ですが、「12夜」という作品があります。クリスマスは12日つづき、1月6日はエピファニー(公現節)です。
「クリスマスは12日続く」は我が家のクリスマスキャロル人気ナンバーワンです。
エピファニーには、毎年、ガレット・デ・ロア(王様のケーキ)を食べます。
まず、ケーキを人数分に切り、「一番若い人」がテーブルの下に隠れます。切った人が「これは誰の分?」と尋ねます。隠れた人が「~の分!」と答えて配ります。みんなが食べ終わった後、フェーブ(もともとはソラマメ)が出てきた人が、その日の王様か女王様になり、パートナーの女王様か王様を選び、その他の人は召使でこき使われます。子供たちが小さい頃は「一番若い人」はわかりやすかったのですが、学齢になると、「~年生」と数の少ない子が「若い」ことになり、親が還暦を迎えると親の方が「若い」ことになり、結構盛り上がっていました。
フェーブもいつの間にかたくさんたまりましたが、ロレーヌ出身のRCさんは、お父様が製菓関係のお仕事をしていたのでたくさん箱でもっているとのこと、すごい!アルザスに行ったら、アンジーのアルザス風のものを手に入れたいものです。
2016年1月5日
今年、2015年は、ストラスブールに教会が建てられて1000年ミレニアムイヤーを迎えました。その後、ロマネスクの大聖堂が、4度火災にあい、1176年から基礎をそのまま使って再建がはじまり、1439年に片方だけ142mの尖塔を持つゴシックの大聖堂が完成しました。ボージュ山脈やライン河沿岸で採れる赤色砂岩が使われており、地元の人はバラ色の大聖堂とよんでいます。同じ時期に世界最高といわれたウルムの大聖堂(161m)も造られたようで、職人(journeyman)は掛け持ちで、文字通り旅(journey)をしながら建設したのでしょう。
映画、ミケランジェロ・プロジェクトーナチスから美術品を守った男たちーが日本でも公開されましたが、原作を読んでみると、ストラスブール大聖堂のステンドグラスもオーストリアのアルトアウスゼーの岩塩坑に隠され、危うく爆破されるところをモニュメンツ・メンの活躍で1945年11月4日に返還され、記念式典でジェイムズ・ロマリーは、レジョン・ドヌール勲章を授与されたそうです。戦争、美術、宗教、人々の心について深く考えさせられました。
2015年12月8日
アルザスで記念に買い求めたHansiの版画にストラスブール大聖堂に虹の掛かっているものがあります。よく見ると1912という年号が入っています。ちょうど100年前!
Hansiはその年に、子供のためのアルザスの歴史の本を出版しました。それによれば、アルザス人は人種的にはゲルマン人ではなくケルト人なのだそうです?
Hansiの絵から100年後の2012年に開設した Salon d'Alsace ですが、Alba Studio の三宅先生のご指導で、絵付けをして飾り皿完成!
2014年10月15日
復活祭は移動祝祭日で、今年は今日でした。アルザス地方では、アニョパスカル(復活祭の羊)というお菓子を焼きます。クグロフのように陶器の型に入れて焼くのですが、まるで石膏の型を取るように作ります。半分に分かれる型の中に生地を入れて焼いた後、留め金を外して取り出すので細かいところが大変そうです。焼いてくれた斎藤さんありがとうございました。羊の毛並みまできれいにできていて、お味も美味しくいただきました。皆さんも来年の復活祭には是非予約して召し上がってください。
何年か前に家族でこの時期に旅行した時、お菓子屋さんの店先にスフィンクスのようにならんでいて、子供たちと一緒にお呼ばれで行ったお家で頭から食べたことを思い出します。(お尻のほうから食べる方が良いみたい)
2014年4月20日
アルザスの思い出ークグロフ
子供たちが小さかった頃、フランスの東北部、アルザス地方の町に暮らすことになった時のことです。初めての地で言葉も分からず、思い切って「ボンジュール」とドアを開けると、火山のような大きなパンが1つテーブルに載っていました。子供たちはそれを見て大はしゃぎ、親もホッと緊張が解けました。料理上手な大家さんが焼きたてをそっと差し入れてくれたのでした。これがクグロフとの出会いでした。
クグロフは、アルザス地方伝統の焼き菓子で、日曜日や祝日に焼かれます。聖人がリボーヴィレ(ワイン街道沿いの町で、毎年クグロフ祭りが開かれます)に伝えたとか、マリー・アントワネットがお輿入れの時に伝えたとか言われています。生地はブリオッシュのようで素朴ですが、干しブドウとアーモンドがアクセントになっています。パン屋さんでは、お好みで粉砂糖をかけてくれます。フルーティーなアルザスワインにもよく合います。また、クルミやベーコン入りの塩味のものも美味しいです。
今でも大家さんに教わったレシピで焼く度に、あの日のことを思い出します。
2013年12月10日
昔、アルザスのヴォージュの山から仕事を終えて帰る一人のきこりがいました。冬の美しい夜空には、星が瞬き始めました。きこりは、家で待つ家族にもその素晴らしい星空を見せたいと思いました。そして暖炉のそばにモミの木を飾り、ロウソクを灯したのがクリスマスツリーの始まりだともいわれています。マルチン・ルターが始めたという話もありますが、この「きこり」の話が好きです。
最近読んだ「鷗外のクリスマス」によると、鷗外は1914年の「海外通信」で、スイスの宗教学者アーノルド・マイヤー「クリスマス、その成立と史的展開」からの引用で、クリスマスに樅の木に明かりをともす風習は、1785年にストラスブールで始まったと紹介してます。鷗外自身は、医師でもあったので、冬至に神農祭(江戸後期の医学館でも挙行された)を祝っており、ドイツ留学後、子供たちのために1913年からクリスマスツリーを飾るようになったようです。
アルザスの思い出――言葉のわからない異国で迎えた寒い冬の朝、まだ暗い中、子供たちを幼稚園に送る道すがら、街角に灯っているクリスマスツリーの明かりは、道しるべであり、希望の光でした。日の短い北国の厳しい冬をしのぐには、暖かい光がなによりの慰めでした。
つくば市では、「100本のクリスマスツリー」というコンテストがありました。15回で終了してしまい残念ですが、センタービルの広場が会場だった頃、娘と何回か参加し、賞もいくつかいただきました。思い出深いのは、初めて参加した「アルザスのクリスマス」です。伝統的なアルザスのオーナメントを作って飾りました。同じものを数年後、墨田区のアサヒビールビルの広場にも飾りました。また、ワールドカップ日韓大会の前年には「サッカーで世界はひとつ」というタイトルで飾り、息子はその飾りをつけて決勝戦を見に行き、ブラジルのテレビで放映されたそうです。
我が家には子供が生まれる前からベンジャミンの樹がありました。聖書からベンジャミンは「末っ子」の意味になりますが、第一子扱いで「ベンちゃん」と呼んでいました。(子供たちの名前は樹がついていますが)毎年、クリスマスにはベンジャミンに飾り付けをしていました。子供たちは「モミの樹」の代わりに「ゴムの樹」(ベンジャミンはゴムの仲間)と歌っていました。残念ながらベンちゃんは20年で枯れてしまいました。その後なかなかベンジャミンが育ちません。オリーブをクリスマスツリーにして飾ろうかと考えています。
ストラスブールの「マルシェ・ド・ノエル」に行くと、モミの木やリースも売っています。まるでお正月前の「松の市」のようで木のよい香りがします。どちらも常緑樹信仰の形です。以前、オーストラリアのクリスマスでは夏だし何の木に飾り付けをするのか気になっていましたが、我が家にホームステイしたザンナに聞いたところ、松の木を使うそうです。
Salon d'Alsaceの塀際にヒバの樹が3本あります。大きくなって塀を圧迫っしたり、電線に接触しそうになり去年邪魔な部分を切り落としました。300キロ以上ありました。今年も剪定で切り落とした部分は、飾り付けに使いました。生の樹はよい香りがします。
2013年12月6日
アルザスでは、ハートのモチーフをよく見かけます。
建物やドアの装飾、椅子やタンスの装飾、刺繍や陶器などの手工芸品にもハートがいっぱい。ストラスブールのアルザス民族博物館でもたくさん見られます。
お土産屋さんでよく見かける木彫りのハート型は、クッキーの型です。クリスマスには、この型で塩のクッキーを作り飾りつけに使います。日本の和三盆の型とコンセプトは同じですね。
日本建築にもハート型の透かし彫りのようなものがあります。
これは「猪の目懸魚」といわれ、猪の目からデザインされたもので、灯篭の煙りだしの透かし彫りや額縁、飾り金具などに用いられるそうです。
2013年4月21日
虹はフランス語でl'arc-en-ciel、仏語のarc(弓)と英語のark(箱舟)を混同していて、虹は天の神様との約束の美しい象徴だと勝手に長いこと思い込んでいました。
虹で思い出すのが、鈴木孝男先生の「虹は7色か」というお話です。言語や民族文化によってとらえ方が3色から7色くらいに分かれるそうです。フランスは7色ドイツは6色とか、でもHansiの虹は3色、トリコロール!
始めてヨーロッパを旅したのは、学生時代でした。スペインのラマンチャ地方、どこまでも続く平原に次々に現れる複数の虹に感動しました。見果てぬ夢を追い続けたドンキホーテに思いを馳せながら見たたくさんの虹と風車、今でも色あせない虹の思い出です。
今年は、素晴らしく大きな虹を2度見ました。
1つは、結城にあるCafe la Familleにケルト音楽を聴きに行った夕方、ブルターニュをイメージしている庭を祝福しているような大きな虹、フランスのブルターニュから西のブルトン(英国)を見ているような錯覚にとらわれました。
2つ目は、10月初め、Alba Studioの三宅さんにSalon d'Alsaceの看板をお願いしに行く途中でした。ひたち野うしくから荒川沖に車で移動中、東の空に大きな虹が2つ!なんだかSalon d'Alsaceにも希望が持てるような気がしました。
2012年12月1日